昭和52年02月27日 山本家霊祭



 霊祭を奉仕さして頂きます時に思いますことは、奉仕をさして頂きます、まあ私なら私がまず有難くなかならければいけないと言う事をいつも思うし、霊祭のたんびにまあいうならば祭主を奉仕さしてもらう、いわゆる取次者冥利をいつも感じるんですけれども。その取次者が、その御霊様がもう確かに、間違いなしに手応えがあって喜んで下さるとか、助かっていかれる様子が分かれば分かれるほど有難くなるわけです。
 それは人間はどうしても感情というか肉体を持っておりますから、いうならばおかげ信心ではいけない、信心を求めてくる者には、御取次ぎがしやすいのと同じで、御霊様の場合は、魂の清まりの事だけしか考えておられませんから、もう間違いなくそういう手応えがあるわけですね、喜びとかその信心を向上さしていっておられる姿というものが。これは信心を求めてくる者には、確かに合楽に参ってくるたんびに手応えがあるはずです、それと同じです。
 ですからそういう思いで今日の例えば、なら御祭典中にちょっと副祭主が腹に触って花がくびれた、もうくびれたら後の御祭りを仕えにくいね。ですからちょっと途中ででも、あれを直して頂いた様にね、そんなに微妙なものです。私は今日その微妙さというか神様、又は私どもの関係を持っておる御霊様の先達の方たちのおかばいを受けておると言う事やら、いろんなことをまあほんとに色々に頂いたんですけれども、奏上詞の中に山本八平豊おき彦の霊というのが引っ掛りましたからそれを話しておりましたら。
 竹内先生も御霊のおくり名を書いてもらいたいと言いよなさるから、この御祭が済んだ後で、頂く事だろうと思うておりました。で山本八平彦之霊神と、おくり名をせんなりに奏上したいと思うとりましたら、すぐそん時に頂いたのがね、水を図案化するですね、三本こんな水を図案化したのを頂いたです。ははあそれでこりゃあの、水に関係があることだなあと思ったら、あのここに活けてある菊のね紫の菊を、こうあしらって頂いた、やっぱ図案化して紫の。
 でこの花が紫の菊の花でしょうな、するとこれは菊水と言う事になるとね。水が三本こう図案化して菊ですから。そしてだから私が水根というのでは、御霊様の位にみょうなふうだから、瑞穂の瑞という字を使いなさい、ねは木の根の根を使いなさい。だからあの山本八平瑞根之霊神というおくり名。これは豊から一段進んだ、と言う事を段々後で分らせて頂いたんですけれどね。
 そして只今御礼を申させて頂きよりましたら、この三本のこの図案化の水がね、あれは木の根とも、又は桂とも感じるような、ので頂くのですよ。 書いたものじゃなくてね、あのあれは言わば桂のようなものですもん、形ができておる。なんかねなんかいうなら、木の根ともね、桂とも感ずるような。また図案化して、そしてこの菊の花をあしらって頂く。それでねそしてほんとに私が喜びを一杯でこの、有難いなほんとに取次ぎ者冥利をここに感ずるというて、奉仕させて頂いておるという事がね。
 あの何て言うですか、神様がね、その取次ぎ者の顔を立てて下さる、という感じですね。例えばならあのまあ、久富先生方の娘が就職の事を例えば、○○○でしたとしたらほかの者が頼めちゃでけんけれども、楢出来ると同じです。合楽の大坪の顔に免じて下さると言う事は最後に私が、それを御神意を板だいてないですもんね、普通の水だから水では、もうおくり名には適しないような感じだから、
 瑞穂の国の瑞という字にしなさいと、その瑞を使うた瑞、瑞根彦之霊神と言う事になった。そしたら今私が頂きますのがね、瑞穂の瑞というのは、やはりあの稲穂のことだと思うのです。その稲穂がそらもう非常にこう出来たですね、その稲がまだ中に実が全然入ってなくて、まあ一ヶ月でもしたら、実るであろうという状況です。これなんかは間違いなしに、私がなら水を瑞と変えたから、もう神様がそれに添うて下さって、それに合わせてくださっておる。
 そしてそのならこれは、桂先生のようなお徳の高い霊神様方のおかばいを受けながら、御霊様がこれからいよいよ御霊の位もなお一段と進んでおいでられるご修行があることだろうと思うのですけれども。そういう情景を最後に頂いて、もう初めから最後まで有り難いな、という感じです。ほんとに思いを込めると言う事は、形の見えるところに込めるねではなくて、形の見えない自分の心に思いを込める。
 いうならば目には見えない、ならご先祖の御霊様に関わり合いのある御霊様に思いを送ると言った様な事が、こういう信心でいう一番大事なところを、こうして形に表すことですから、おかげ頂きます。それからひとつ申し訳ないことでしたけれども、あの久富先生があの、お魚を注文してからこれがもう、お魚がもう安いのがないちゅうわけです。それでその前の日にあの、妹のところのあのお魚を頼んどったのです。ですからあれはだから池尻家と、竹内と半分こして(笑)。
 そばって考えよったらあの泉尾の、あたりなんかは、月に一回霊祭があるそうなんですね、その帰幽日の御霊様が合同でするちゆうならそげん、今日は半分づつは。そんなわけでございましたから、またこの次一時間後に仕えますのも、このお魚使わなならんことなりますのでね。そんなほんとに有り難いけれどもほら、池尻の御霊がなかなら下がらなったのですから大体。ほんとに何からかにまで私は、今日もうさっきからそれをずうと思うてから、12時半すぎに初参りがあったです。
 西見さんのねそれに今日は敬親会でね、だからあの赤飯が私に誰かが、お年寄りあたりに長生きするようにね。先生方も今日は、若先生は、田主丸の大祭、光昭は昨日から教務所行きしとります、今度祭員もまた変わる事になるでしょう、楽人もまた恵美子さんと愛子が代わると言った様なね。けれどもおかげでここで間に合うて行くと言う事、何から何まで万事万端、そうにゃ心に汽車の運行があっているように、ずうと時間表が出来とるのですから霊様の。
 その中にこうやってあぁあっておると言う事も有り難いですね。これはやっぱしある意味では、合楽ならではという感じがいたします。ほんとにあの霊祭をこうするたんびに、あの、取次者冥利を感じます。そういう冥利を感じながらの霊祭である。そこに私の喜び、御霊の喜びはなおさらの事、遺族の者の喜び、これを神様がまた、お喜び御とり立て下さらないはずがない、そんな感じがしますね。
   どうぞ。